沖縄意見広告運動に寄せられた声

■意見広告の皆様

「名護の心」

 釈迦に説法だと思いますが、私は20数年前、「痛恨の碑」を訪ねる目的で久米島にいきました。多くの住民の方はその存在すら知らず、役所で長時間調べて頂き、ようやくたどり着くことができました。この碑は1974年に痛恨の碑建設実行委員会が建立したものです。

 1945年、6月23日直後から、8月20日までの20日間の間に、日本軍によって島民20名(朝鮮人を含む)が虐殺された事件が起きました。乳飲み子を背負った母親が、二人の幼い子供もろとも切り殺されるという、痛ましいものもありました。久米島を始め、記録に残るだけでも、日本軍(皇軍)によって虐殺された島民の数は2000名に上るという資料があります。

 島津藩による侵略、明治政府よる「処分」、本土決戦の捨て石にされた沖縄戦、サンフランシスコ条約で日本の独立後も沖縄はアメリカの施政下、そしてあの狭い沖縄に、大半の米軍基地が存在するという現状。

 150年以上にわたり、ヤマトは沖縄を極めて野蛮な方法で収奪し続け、常に悲惨で、劣悪な環境を沖縄の人々に押し付けてきました。

 そして、ヤマトは東京オリンピックを成功させ、高度成長期に入り、栄華の春を迎えます。しかし、沖縄は見捨てられたまま、今日をむかえています。

 何より、一億ヤマトンチューはそのことを知りながら、見て見ぬふりを続けてきたことに、私を含め痛恨の思いで省みなければならないと思います。

 20数年前の「痛恨の碑」には碑面にこう刻まれていました。
 「天皇の軍隊に虐殺された久米島住民、久米島在朝鮮人 痛恨の碑」
 衝撃的な碑文でした。

 名護市長選の勝利を心から喜んでいます。

私学・山口

■この闘いは平和憲法を守るため、また安保とアメリカとの関係を考え直すため長期間が必要かと思います。アメリカという国のしてきたことを考え、安保をふまえ、世界がどういう方向に向かうべきか長期にわたり考え行動してゆかねばならないと思っています。世界平和へと歩みが進みますよう。(呼びかけ人・三木麻友美)


■親の介護で反対集会に参加できないのが残念です。せめて賛同の気持ちだけでも送ります。意見広告は米国の新聞にも出したいですね。外務省・防衛省・メディア等々の一部に怒を感じます。(賛同人)

■去る5月16日の朝日新聞の意見広告を拝見、普天間基地撤去の意見に賛同し、賛同金をお送りします。(賛同人・長谷川春子)

■普天間に基地はいらない!日本の土地に外国の基地はいらない!(賛同人)

■沖縄の平和、日本の平和、世界の平和を心から希求しています。平和憲法を守り抜きましょう。アメリカは直ちに撤退を!!(賛同人)

そのほか・・・
■沖縄に”9条”を、”非核”を
■普天間即時閉鎖辺野古やめろ海兵隊
■武器のない、基地のない、戦争のない社会の為に!
■週刊金曜日12/27で知りました。心より賛同します。
■週刊金曜日で知りました。普天間基地廃止・返還に賛同します。

■基地撤去という良識の風をつかもう
本山美彦(京都大学名誉教授)私信

 梅雨が去った後、琉球には人の心をなごます南風が吹く。光輝く青空を呼び戻すその風は、南日本では白南風(しらはえ)と呼ばれている。東風(こち)が、かぐわしい梅香を西にもたらすのと同じように、白南風も北に梅雨明けの喜びを運んでくれる。白南風とともに、この夏、琉球の基地閉鎖の戦いが、日本全土に、いや、世界の平和を求める人々に勇気を与えてくれる。危険にさらされない穏やかな生活空間を取り戻すべく、琉球の人たちは、これまで、気の遠くなるような長い歳月の間、基地撤去の苦闘を続けてこられた。いま、ようやく、その苦闘が実を結び、私たちに希望をもたらす白南風が起こりつつある。もうすぐ、あと一息で、世界の良識ある市民は、幸せを運ぶ白南風の幸せに浸ることができるようになる。確かでしっかりとした白南風を琉球から戴こう。基地が撤去された美しい生活の場で白南風を喜ぶ日をつかみ取ろう。その日は近い。

 琉球から勇気を得る私たちは、基地撤去の戦いを続ける琉球の人たちの崇高な心意気を支えよう。琉球の人たちの気力を萎えさせてしまうようなことだけはしないでおこう。

 日本の安全を守るために沖縄の米軍基地があるとつねに国民は説得されてきた。そうだろうか。普天間基地の海兵隊は、他国に軍事介入するための陸上部隊であり、侵略者を防ぐ防衛的な海軍ではない。

 それよりも由々しき事実を私たちは知らなければならない。普天間基地は世界でもっとも危険な空港の一つであるという事実を。普天間基地が建設された後に、基地周辺に住宅が密集しだしたのではない。住宅地域に基地が建設されたのである。この基地の基準は、1978年の米国の「軍事施設に関する環境保護条例」の基準からはるかに外れてしまっている。米軍は、その基準に合わすべく普天間基地を改良していない。普天間は米軍の正式の基地ではないかのように放置されてきた。

 00年9月11日、日米両政府は、在日米軍施設の「環境原則に関する共同発表」をした。在日米軍施設の安全基準は、日本の航空法の基準を下回ってはならないという原則で、在日米軍基地の安全に関して、日米間で定期協議を行うというのがその発表の内容であった。しかし、その内容に沿って普天間基地が改良された気配はない。04年8月、CH53D大型輸送ヘリコプターが、隣接する沖縄国際大学本館ビルへ墜落炎上し、大惨事を引き起こした。墜落炎上事故を受けて日米両政府は、08年8月10日、「普天間飛行場に係る場周経路の再検討及び更なる可能な安全対策についての検討に関する報告書」を発表した。しかし、いまなお、米軍普天間飛行場周辺では、住宅地上空での頻繁な旋回飛行が継続され、墜落の危険性が放置され続けている。普天間基地は即刻閉鎖されるべきだ。

 日本政府は、米軍が普天間で安全基準を満たさずに傍若無人に振る舞っていることに強い抗議の意志を示したことがない。日本の外務省は明言した。普天間飛行場のクリアゾーン(安全空間)はガイドラインにすぎず、両政府による00年「環境原則に関する共同発表」も法令ではないので、日本政府が米軍に守らせるように強制することはできないと。08年4月8日のことである。

 負担間飛行場は欠陥空港である。不法建築である。不法建築をしてしまった建造物責任者が自主的に不法建造物を撤去するのが人としての良識というものである。

 情報が操作されたまま、無辜(むこ)の人々を殺戮して巨大化する一方の軍産複合体の跳梁跋扈を、平和を求める私たちは許してはならない。軍産複合体は、国土防衛の口実の下に他国の土地を侵略し、目も眩(くら)むような高額の戦略兵器を、湯水のように使うことによって、巨利を得ている。私たちはこのような理不尽な社会・経済構造を廃棄しよう。

 琉球の戦いは、日本全土の戦いに直結する。そして、世界の平和の戦いの中心になる。琉球の人々の心を私たちのものにしよう。

 基地という梅雨が去るとき、光輝く空と雲をもたらす白南風がその後にきてくれる。その風を私たちも受けよう。琉球から白南風が一刻も早く吹くようになることを期して、世界の市民は手をつなごう。
 
2010年3月8日、基地に関する与党方針が出された日に