私たち沖縄意見広告運動では震災以降、関連諸団体とともに「東日本震災緊急支援市民会議」を発足させて被災地へ生活物資を届ける等、被災者支援の活動を平行して行っております。今後もできるだけのことをしていきたいと考えています。

---以下、支援活動報告です---
第三弾目のトラック隊は福島(四倉)に行きました
◆第3次「東日本緊急支援市民会議」の支援トラック隊は日本レンタカーで2トンのコンテナトラックを借り2台にして、箱根強羅の「嬰寿の水」という名水1トンを、もう一台は約1トンの野菜と果物を、品目は、たけのこ、茄子、リンゴ、夏みかん、バナナ、苺、ほうれんそう、小松菜、水菜、白菜、じゃがいも、大根、キャベツ、キクラゲ、人参、パセリ、など1,5トンをはこびました。今回も常磐道を通って4倉のインターチェンジから街に入ったのですがそこから先は福島原発から30㌔圏内ということで交通止でした。午後1時半頃、2台のトラックは四倉の海水浴場からたった20メートルしか離れていないけれど高台にあるために助かったという老人ホームに行きました。海水浴場の周辺には瓦礫の山が目につき災害の後も残っていました。老人ホームでは小雨の降る中で8割がた野菜や果物や飲料水を下ろしました。もう1箇所は小名浜港まで小1時間程南下したところにある小さな地区労組の事務所で、勤労青年会館の昔ながらの古い木の看板のかかった40年前の田舎の集会所みたいな敷地の端っこのプレハブに残りの2割くらいの野菜と果物と飲料水を下ろしました。被災者の組合員が首を切られて困っているらしい。組合員は18人とその家族だって言っていました。
◆やはり市の災害対策本部には支援物資が山積みされているのに市の職員の手が足りなくてしばらくは末端まで配布されてはいないとのことでした。以前はガソリンや車がないためといわれていましたが、人手も足りなくて隙間ができているという印象でした。その労組地区長の言うには会社の経営者は従業員を市の災害対策本部にボランテイアに出せば解雇しなくても良かったのにとのことでしたがその通りだという思いです。何処に行ってもぼくらは喜ばれるみたいです。


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